クソ親父だった。でも俺の原点は、親父にあった。
──日本一の介護を目指す俺の、本当の理由。**

俺の親父は、本当にどうしようもない人だった。
酒に溺れ、
家族を振り回し、
飲酒運転で事故を起こし、
泥酔して警察に呼び出されることもあった。
子どもの頃の僕は、
ずっと心の中で思っていた。
「どうしてうちの親父は、こんな人なんだろう。」
恥ずかしくて、
悔しくて、
情けなくて、
嫌いだった。
けれど──
それでも忘れられない“たった一つの記憶”がある。
■ 高熱の夜、親父が布団を10枚かけてきた。
ある冬の日。
俺が高熱でうなされていた夜。
身体が震えるほど寒くて、
布団の中で必死に耐えていた時、
静かに部屋のドアが開いた。
入ってきたのは、普段は絶対に来ない親父だった。
何も言わずに、
押し入れから布団を引っぱり出し、
俺の体にかけはじめた。
一枚、
また一枚、
さらに一枚……。
気づけば、 10枚近くの布団に埋もれていた。
重くて、暑くて、
「もう無理だよ」と言いたくなるほどだったのに、
親父はそれでも、まだ布団を探しに行こうとした。
その姿を思い出すたびに、
胸がじんわりと熱くなる。
当時は何も分かっていなかったけれど、
今ならはっきり分かる。
あれは、
親父にとっての 最大限の優しさ だった。
言葉で愛情を伝えることも、
抱きしめることも、
気の利いたことを言うことも、
きっとできない人だった。
でも。
あの瞬間だけは
俺を守りたい一心で動いていたのだと思う。
不器用すぎるほど不器用な愛情。
けれどその夜の温もりだけは、
大人になった今も忘れられない。
■ 「嫌い」と「愛情」がずっと混ざり続けている。
親父の行動には、許せないことも多かった。
恥ずかしくて、悲しくて、怒ったこともある。
それでも。
布団10枚の夜を思い出すと、
胸が締めつけられる。
嫌いだったはずなのに、
なぜか苦しくなる。
「もっと優しくすればよかった」
「もっと話しておけばよかった」
「いつか謝りたいと思っていた」
そんな感情が、ずっと心の底に残っている。
人は、大切な人ほど、
“きれいに憎み切る”ことなんてできない。
親という存在は、
良かった部分と悪かった部分が
いつまでも心の中で混ざり続ける。
■ 親父が亡くなった日、俺の心に残った言葉。
親父が亡くなったとき、
言葉にならない感情が押し寄せてきた。
「もっと素直になれたらよかった」
「なんであんな言い方をしてしまったんだろう」
「きっと親父も苦しかったんだろうな」
そう思った瞬間、
自分が何かを失ったような気がした。
親父は不器用だった。
でも、俺も不器用だった。
だからこそ、
もっとちゃんと向き合いたかったという想いが残った。
そしてその想いは、
今も心のどこかで続いている。
■ 俺が“カリスマになる”と言う理由は、実はここにある。
介護で生きていく。
日本一を目指す。
金を稼ぎ、事業を広げる。
カリスマと呼ばれる存在になる。
そう決めたのは、
派手な理由でも、綺麗ごとでもない。
根底にはいつも、
あの夜の親父がいる。
布団10枚の重さ。
息が苦しくなるほどの温もり。
守られていると初めて感じたあの瞬間。
あの夜が、
俺の人生の原点になっている。
だから俺は、
誰かに“布団10枚”を渡せる人になりたい。
高齢者にも、
家族にも、
職員にも、
地域にも。
あの夜に俺が受け取った温かさを、
もっと洗練された形で、
介護という仕事で返していく。
それが、
俺が“カリスマになる”と宣言する理由だ。
■ 親父へ。
もし生きていたら、
この文章を読んで
あなたはきっと苦笑いして言うだろう。
「なんだよそれ。大げさだな。」
でも、
俺は本気だ。
あなたに見せたい世界がある。
あなたが果たせなかった未来を、
俺が先に行って見せたい。
俺はここからカリスマになる。
介護で日本一を獲る。
そしてあの夜の布団10枚の温もりを、
俺の手で広げていく。
あれが、俺の人生を作った。
あの夜が、俺を
救った。
心から言わせてください。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
2025.12.11
